2008年8月27日水曜日

8/27 Today 白村江の戦い (663)

白村江の戦い(663): "天智天皇2年(663)8月27日、日本と百済(くだら,baeg-je)の連合軍は朝鮮半島の白村江(はくすきのえ,baeg-chon-gang)で唐(とう,tang)と新羅(しらぎ,sil-la)の連合軍に歴史的な大敗を喫しました。"




百済を助けるためとして半島に侵攻した日本水軍は、この日、待ちかまえていた唐の水軍と戦いの火蓋を切った。結果は惨敗。昔からあんなところに行くとろくなことはないと決まっているのである。

本当にどうしてこんな遠征をしたのか分からない。百済は既に新羅と唐の連合軍の前に亡びていたし、百済の残兵が抵抗を続けていると云っても内部で内輪もめが続いていた。新羅が連合を組んだ唐は王朝の一番勢いのある時期にあった。日本は遣唐使を派遣したばかりであり唐の国力と軍隊の強大ぶりはよ〜く知っていた。常識的に見てもう百済に勝ち目はないことは明らかだったのだ。

なのに斉明天皇(というより中大兄皇子)は、百済救済のために空前規模の遠征軍を派遣することを決める。全国から膨大な兵士が徴兵され、女帝自ら船に乗り込み西に向かう。天皇が戦争のために畿内を離れたことは神話を除いては日本史で前例がなかった。中大兄皇子、大海人皇子、額田王も従軍。

結果は惨敗。でも蘇我入鹿を暗殺しクーデターで政権を奪ったばかりの中大兄皇子は、このゴタゴタを利用し政権の正統性を確立することに成功。対外戦争やナショナリズムを政治に利用するのは、今も昔も同じ。毒餃子事件や捕鯨妨害問題も同じで、誰が一番得したかを考えれば、本質が読める。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

新しくなってから、コメントの送り方がよくわかりません。以前と同じニックネームでコメントさせていただきたいのですが。ブログ立ち上げなどの経験がなく、不勉強ですみません。自分のHPは持っていないので、URLもありません。

匿名 さんのコメント...

コメントの方法。「名前/URL」を選んで名前だけを書けばいいのです。URLは入れなくてもかまわない(オプションです)。その方法でこのコメントを書きます。Blogger のコメント欄はちょっと不親切ですね。